日本で唯一現存している!遠州浜名湖の観光スポットに佇む「新居の関所」とは!?

表浜名湖(弁天島・新居)の観光スポットで、
なんと!日本で唯一、ひとつだけ!江戸時代から現存し続けている名所賀あるのを、あなたは知っていますか?
それがここ、「新居の関所」です。

関所としても知名度が高い、箱根の関所は復元されたモノですからね、とても貴重な歴史建造物なんですよ。特別史跡です(重要文化財より格が高いそうです)。

1869年に関所廃止令が出て壊されたんですけど、新居の関所はそのまま小学校や役所として使われたために、運よく残されて現在に至ります。そんな建物がフツーに存在している。うーん、すごいですね。ちなみに「新居の関所」は通称で、正式名称は「今切の関所」って言うんですよ。

この関所。今でいうとどんな施設に最も近いと思いますか??

関所の役割

これですよ、これ。

おいそれと通らせない!

(出典:http://www.epochtimes.jp/jp/2010/01/img/m75581.jpg)

あなたもきっと海外旅行にいくと思います。そのときに必ずある、入国管理の窓口。
今は世界各国行きたい国に行ったり、また日本に帰ってくるため出国するのには、こうした窓口を必ず通過しますよね。パスポートを見せてOKなら、許可のスタンプを押して手続き完了。

新居の関所も同じような機能を持っています。このほかにもさらに国境警備の役割もありました。

関所ってそんなイメージです。
だから同じように、パスポート(手形)持って、調べを受けて、通過の許可を得て通る。
自分は海外旅行慣れしてないので、ここを通るときはドキドキします(笑)

だから昔の人にとっては、新居の関所を通ることは、異国の地へ行く感覚だったんですね。

新居は陸の街だった

地震で陸地が消えてしまった…

(出典: wikipedia

浜名湖がまだ海と隔てられた湖だった室町時代から、この地域は浜名湖の水運と陸の東海道を結ぶ、たいへん賑やかな街だったそうです。東海道は今も昔も、日本の東西を結ぶ重要な道だったですね。

ところが1498年の大地震(明応地震)で遠州灘一体が凄まじい津波に襲われ、陸地がなくなり海と繋がったんです。賑やかだった街も壊滅して、住民も移動を余儀なくされたんですね。その後も余震や台風で湖口が削られて、今の今切口になりました。東海道がなくなっちゃったので、今切口を通るため舞坂ー新居間を結ぶ渡船の拠点(今切の渡し)が置かれ、東海道の一大難所となったんです。

今も復元された場所から、すぐ浜名湖へ出られたんですって。

ここの目の前はすぐ海だったんですね

その後新居は地震で3回以上も津波に遭い、浜名湖の湖口を移りながらその度に復興して、江戸の末期から現在の場所に落ち着いています。

関所の役割も変わるよ

もっとも関所も時代によって性格が異なる面もあるんです。

もともと関所は、古代飛鳥時代(大化の改新の頃ですね)に、戦争で領地を守るために設けられたのが始まり。国境警備や、敵方を通せんぼするのが役割でした。

これが室町時代になると、武家や貴族、寺社が自分の領地を通るときにお金を取るという、今で言うと高速道路のインターチェンジのような性格になったんですね。

お金の取られ方が酷い時には、浜松から豊橋までいくのに1万円かかるんですよ!(今なら当然無料)
だから物流や輸送にお金がかかって、今みたいに地方のものを安く手に入れられなかったんですね。

そして戦国時代が終わり、徳川家の支配が固まった江戸時代では、首都である江戸の防衛と、徳川家を守るための警察的な検閲施設となりました。

新居の関所は造っちゃ壊れの歴史

壊れては復活してきた新居の関所

新居に関所ができたのは1600年。江戸幕府が出来る前に既に関所の施設がつくられたんですね。
当初は江戸から役人が派遣されてきたんですけど、1702年から豊橋のお殿様の管理になりました。

最初は今の位置よりも東(向島地区)にあったんですけど、台風などの高潮被害で西に移転したんです。
そして1707年の宝永地震(富士山が最後に噴火した)で、地震と3度の津波で甚大な被害を受けて、街が失くなりました。今切口も崩れてしまい、今の場所に移って渡し船も4kmという長い航路で継続したんです。
この地震は凄まじかったようで、「関所跡かたなし」なんて記録も残ってます。

さらに1854年には安政地震(直近の東海地震)で建物はじめ近隣が大破し、翌年改築されたものが現在に残ってます。

この建物には、こんな苦難の歴史があるんですね。
移転しながらよくここまで残ったなぁ。

いやはや新居の関所のキビしさといったら!

複数の役人から厳しい改め

さすがは東海道随一の関所だった新居ですから、ほかの関所にも増して通行改めの厳しさは凄かったそうですよ。とにかく当時最高の警備体制が敷かれていました。

今もごくたまに検問見ますよね。これが毎度のことですから…

通るときはなぜかドキドキします

(出典: https://www.sankei.com/photo/

社会の授業なんかで出てくる「入り鉄砲に出女」という言葉、聞いたことありませんか?

「入り鉄砲に出女」
大名家が徳川家に反抗しないために、人質として江戸に留めている嫁さんを国元に戻らせない。
そして江戸で反乱を起こさせないために鉄砲を検めて江戸に入れない。

こうした通行を24時間365日体制で厳しい監視をしていました。今みたいに防犯カメラもない時代なので、取り調べと通行には相当時間がかかったようです。空港からの出国でこんなんされたら、飛行機ロストですね(-_-;)

江戸時代日本でここだけ、通行人に決まり事を認識させるためにこうした高札が掲げられていたそうですよ。今みたいに情報を自分で取れない時代でしたからね、知らずに来てしまう人も多かったみたいです。

札もたくさんあって、読むだけで大変!

夜になれば門を閉めて通行できないと思ってたんですが、以外にも夜間通行も出来ました。ただ夜でも当然ながら、幕府から発行された通行手形や証文がなければ通行ができません。追い返されます。そして関所破りは重罪、下手すれば打ち首…

女性の通行には特に厳しく、今だったらセクハラじゃ済まないくらいの取り調べをされたんですよ。

関所を通過する際、婦人は特に関所の改め女に偏執狂的な取り調べを受けました。身のまわりを調べられ、頭髪などをかきまわし、髪の中に秘密の手紙でも隠していないか、あるいは着物と肌身の間に隠していないかなどと、時には裸にされて徹底的に調べられたそうです。

女性は丸裸に…着物着るのもつらいのにね

だから女性にはなんとも厳しく、嫌な思いをする過酷な取り調べだったんですね。
そして海を小さな渡し船で渡らなければいけないので危険も多い。

今は車ですーいすい。
もちろん広めの駐車場も完備、清潔なお手洗いもすぐ横にあって「ちょっとタイムスリップ!」するにもいいですよ。
冬場は浜名湖名産の牡蠣小屋も出てます!

(出典: http://sonouchi.jp/e-hamanako/

だから別のルートが無いのかな…??
こうして女性が歩きやすい道として選ばれたのが「姫街道」だったんですね。
しかも度重なる地震で通行量も減り、浜名湖の北を通る姫街道の賑やかさは江戸時代の間続き、往来禁止令まで出たくらいだそうです。

次回は姫街道を歩いてみましょう!

新居関所・関所史料館
住所 〒431-0302 静岡県湖西市新居町新居1227-5
電話/FAX番号 053-594-3615
URL http://hamaguru.com/sekisho/
開館時間 9時から17時※入館受付は16時30分終了
入場料  関所と紀伊國屋資料館共通券410円・関所のみ310円
駐車場  あり
ガイド  ボランティアガイドご希望される方は、来館の10日前までに要予約
静岡県湖西市新居町新居1227-5

 

ABOUTこの記事をかいた人

藤村紀和

今日もバイクの街はーまつが生んだポンポン「スーパーカブ」で走る、遠州率は100%・歴史(徳川よりも今川派)とスイーツ(毎週ソフトクリーム食べてます)と都市伝説が好きな、セールス売上げ着火ライター