なぜこの道は「姫街道」と言うのか?!【氣賀関所ストーリー】

さてさて前回は日本のメインストリート「東海道」は新居関所のお話しでした。
東海道五十三次、江戸日本橋から京都三条大橋までの約500km。そのなかの要所「新居関所」は、メインストリートにあるだけあって警固も取り調べも厳しいですね。

しかし道は一つではない!
東海道から脇に入り、浜名湖を通らずに行き来する約60kmの工程が「姫街道」として存在します。磐田の見附宿から三河の御油宿までの道です。この姫街道に設けられたのが氣賀関所でした。

ちょっとタイムスリップしてみると、ほら歩く人たちの声が聞こえそうですね。
あれ?マネキン?!

いや、本物でした(笑)

「氣賀の関所へ、ようこそお越しを!」

イベントのあるときは、こうして役人姿で私たちを見張ってる(笑)のだそうです。
そこに遠州の歴史が好きな歴女ミヤコが突撃取材でいろいろ聴いちゃいます!

「なんで姫街道って言うの?」
「氣賀の街って賑やかだったんでしょう?」
「関所はやっぱり、キビシイの?」

などなど、たくさんお話ししてくださいましたよ!

姫街道、実はとっても古いメインストリート

「姫街道って名前が、とっても華やかな感じですよね!」

今ミヤコさんが来た道、通称「姫街道」って言うんですけどね、実は古くからある道なんです。縄文時代から通い道になってて、縄文人の骨が発掘されているんですよ。

天竜川は今よりも河口部分の川幅がとっても広くて、東側に大きな湖もあってむしろこちら側の道が「二見の道(ふたみのみち)」と呼ばれて、本道だったんです。

「へぇ~、こちらがメインだったんですね!」

そうなの。でね、だんだん湖も無くなって川幅も狭くなるなかで、南側の東海道が使われるようになり、少しずつ寂れてきたんです。

しかし、室町時代に大きな地震(明応地震)で新居の土地が崩れることで、浜名湖と海が繋がり、新居の道は船でなければ渡れなくなってしまったの。そうなるとまたこの道が使われるようになってきたんですよ。

徳川家康と武田信玄が戦った戦さがあったでしょう?あのときも武田軍はこの道を通って京都へ行こうとしてたんですよ。

「家康さんの一大転換期、三方ヶ原の戦いですね!!」

遠州最大の戦さで、武田に攻められ徳川ボロ負け…

(出典: 浜松市公式サイト

ここの関所も明治2年(1869)の関所廃止令で廃止になりました。でも番所は全国で最古の関所建物として昭和35年(1960)まで完全な形で残ってたんですが、解体されちゃったんですね。今こうして復元してますけど、7重の塔なんかもあったそうですよ。

なぜ姫街道って、言うの?

「なぜこの道を、姫街道って言うんですか??」

華やかな姫様道中

(出典: 天浜線公式サイト

ここには諸説あるんですけど、大きな理由は『新居の関所を通りたくなかった』のが大きかったようですよ。「姫街道」と呼ばれるようになった理由については、

・新居関所の女性に対する取締りが厳しかった(入り鉄砲に出女)
・新居~舞阪の海がよく荒れて今切の渡しを渡りたくなかった
・古くに栄えた街道で「鄙(ひね)街道」と呼ばれていたのが訛って「姫」(ひめ)になった

なんて言われています。新居の関所では、女性は丸裸にされて局部まで調べられてたらしいので、なるべく通りたくないって思いますよね。

じゃあ実際にどれくらい「お姫様」身分の人が通ったかなんですけど、『気賀宿文書』の記録では、宝永5年(1708年)から寛政7年(1794年)までの約80年の間で通行した人数は22人・平均4年に1人程度だったみたいですね。あまり頻繁ではなかったかも(笑)。

でも幕末には篤姫様が通った記録がありますよ。

どうして氣賀に関所が??

賑やかな氣賀の街が表現されました

「おんな城主 井伊直虎」NHK公式サイトより

「どうして氣賀に関所が設けられたんですか?」

観光客も多いですよ

氣賀の街って、戦国時代から重要な土地だったんです。北は山に囲まれ、南は浜名湖、そして井伊谷川と都田川が合流する要害で、ここを閉じてしまうと他から通ることが出来なかったんですね。

東門の入り口から入り、西側の入口まで街並みが東西600メートルほどにわたっていました。関所で囲まれたイメージ、ですかね~。だから街の人たちもちょっと出掛けるのに関所をわざわざ通らなければいけなかったんです。

氣賀の関所は、戦国時代からこの地域を治めていた旗本の近藤家が代々歴任してました。近藤さん、「おんな城主 井伊直虎」にも出てましたよね。規模感としては、番頭が2名、平番が4~5名が交代で勤務して、ほかに下番1人、足軽2,3人がいました。

やっぱり取り調べはキツかった?!

「そうは言っても、取り調べは新居の関所と同じように厳しかったんでしょう?」

それはもちろんですよ。そこは新居の関所と同様の厳格さです。

「うわ、ものものしい雰囲氣ですね…」

関所破りは重罪でしたからね。ただ町の人には、関所の外へ田畑を耕しに行くときには、作場札を庄屋さんから借りれば通行OKにしたり、地元女性の里帰りなんかも町の庄屋さんが出す手形で通行OKにするとか、便宜を図ったんです。それに江戸時代も後半になってくると、東海道や中山道のような本街道よりも厳しさが緩くなったそうなんですね。

「それは助かりますね。でもそうすると関所を手形なしで通っちゃう人なんかも…?」

こんな札が無いと通れなかった

だから姫街道がずっと賑わいを見せたってことですね。それに東海道は大きな地震の影響で、旅人も避けて姫街道を利用しましたし、監視も新居より緩いですから。

それにね、「気賀の犬くぐり」って道があったんですよ。

犬が通る道という扱いにして…

(出典: http://www.fujinsha.co.jp/

近隣住民の往来を簡単にするため設けた道でしてね、関所の裏通りにくぐり戸を設けてむしろを垂らし、犬のように這って通ることができるようにしていた道があるんです。

「それはこっちに来ますよね(笑)。」

………

同じ関所でも、新居と氣賀ではなんとなく雰囲氣が違いますね。
氣賀のほうが心なしかのんびりとしてる様子。

なかなかのんびりできる氣賀。
天浜線の駅舎も趣きがあるし、

近くには美味しい大判焼きのお店も。

今年で54年目の老舗大判焼き!

クリームが美味しい!120円。6月中旬~9月中旬はおやすみ

奥浜名湖へ行く際は、立ち寄ってみてくださいね。

浜松市気賀関所
住所 〒431-1305 静岡県浜松市北区細江町気賀4577
電話番号 053-523-2855
URL http://www.kigasekisho.com/
開館時間 午前9時 ~ 午後4時30分(年中無休)
入場料  大人(個人) 150円
駐車場  あり(無料)
その他  着替え体験・呈茶サービス(※詳細はHPをご覧ください)
静岡県浜松市北区細江町気賀4577