勝ちたい人が密かに訪れる遠州穴場スポットがここ。開運間違い無しの『大洞院』!!

『試合に勝ちたい』

『ライバルに勝ちたい』

『自分に勝ちたい』

勝負事に臨む人が密かに訪れる、遠州森町のお寺があるのをご存知でしょうか…

そのお寺の名は、大洞院。
遠州森町にある由緒あるお寺です。

でもたぶん、ある程度年配の方しか知らないのかもしれません…
ここの敷地にはある有名な勝負師が眠っていて、人々はこっそり訪れお墓に手を合わせて勝負運を得に来るのです。

墓石が削られてカケラがお守り代わりに持って行かれ、
あるときはお墓ごと持って行かれるほどの御利益なんです。

少し勿体ぶってしまいました…
その勝負師と言うのが、遠州森町の生まれである
「森の石松」です。

毎年賑やかにお祭りしています

清水次郎長の第一の子分。
名前を聞いたことありませんか??

世に出た勝負運の強さ

この方のお墓が、とにかく金運勝負運を授けてくれるとのこと…
とにかく博打にめっぽう強かったらしく、石松の墓石のカケラを持っているとギャンブルに強くなるって言われたんです。くしくも浜松には公営ギャンブルとして浜名湖競艇に浜松オートレースもあり、そこで1,000万円勝った人が出たり、宝くじ3億円当選者が出たらしいです…。

なぜこの石松さん、そんなに勝負運があるのでしょう??

この森の石松さん。
親分の清水次郎長、そして石松子分はいわゆる侠客と呼ばれる御方です。
侠客とは、「任侠を建前とした渡世人」ということなのですが…、

次郎長親分と石松のモニュメント(笑)

↓↓(解説)こんな人

その行為が世の正義と一致しないことはあるが、
しかし言ったことは絶対に守り、
なそうとしたことは絶対にやりとげ、
一旦引き受けたことは絶対に実行し、
身を投げ打って他人の苦難のために奔走し、
存と亡、死と生の境目を渡った後でも己の能力におごらず、
己の徳行を自慢することを恥とする

要するに、

弱きを助けて強きをくじく男氣溢れる漢(おとこ)

というところでしょうか。

「悪」という言葉、今では
人道に外れた行いをしたり有害なものを指すのですが、

もともと室町時代に出てきた「悪党」という単語を見ると、
既存支配体系へ対抗した者・階層を指す褒め言葉だったりします。

要するにアウトローってことですね。
アウトローなのに、単に世間に反発して迷惑をかける存在ではなく、むしろその反対。反権力で弱き庶民の味方である。なんともカッコいいじゃないですか!
“忖度”なんて単語が流行語になる現代社会へのアンチテーゼですね。

こうした「強きをくじき、弱きを助ける」魂の持ち主で、しかもこういう職の方だから博打もめっぽう強いわけ(笑)。庶民にとってはヒーローなんです。だから本当に困った時手を差し伸べてくれるんです。

そして森の石松ストーリー。

こういうポジションの方なのに森町のシンボルになってるんですから、よっぽどの人なんでしょうね。

幕末天保年間の頃(浜松藩主の水野忠邦が天保の改革をしてた頃)、森町は秋葉街道の宿場として栄え、そこに五郎という有名な侠客がいたそうな。

森町の天宮神社の祭典のとき、

今の天宮神社の境内

境内にひとり7歳くらいの迷い子を見た。これが石松。

 「どこから来た」
 「あっち」
 「名前はなんていう」
 「石松」

石松は孤児だった。その後この森の五郎に拾われ育てられることになった。
どうやら母は早くに亡くなり、父も他国から移ってきて木こりをしてたようだが、不幸にも病で帰らぬ人になり、石松は孤児になったそうだ。

この森の五郎に拾われてからの石松の腕白ぶりは凄まじく、まだ中学生くらいの年齢で既に大人と相撲をとって負けたことがないくらいの腕っぷし。喧嘩で負けたこともなく、五郎も手を焼くくらいに大きく育っていった。

天宮神社に石碑が残っています

石松開運のきっかけ

その折り、清水港の大親分・清水次郎長が五郎のもとで逗留したとき、石松の人と成りを見て才能を見出し、「俺に預けてくれぬか」と引き取ったのが開運の始まり。次郎長親分は人を育てることに熱心で、その第一の子分になった石松は才能が大きく花開いたのです。

とにかく肝も据わり腕も強く、刀も一流。次郎長親分について各地に遠征して悪い侠客を懲らしめ、豪勇森の石松と名が轟いていったのです。

平常は昼から酒飲みの荒くれ者なのに、義理人情第一・横暴な権力に反抗して常に弱者の味方、そして子ども好き。よく菓子を配っていたそうです。

中村獅堂さんも石松を演じました

そんな石松もどこか間が抜けてて、
温泉地の賭場でいんちきサイコロを使って100両儲けた!
と思ったら翌日以降300両負けて次郎長の湯治費を丸ごとスッてしまい、

「馬鹿は死ななきゃ直らない」

のモデルとなったそうな。
こうしたどこか天然な部分とのギャップも愛されキャラとなって、昭和の初めに講談や浪曲にも数多く出てくる人物。これで人気に火がついたんです。

石松という名前を受け継ぎ

今芸能界で「石松」といえば、この人。元ボクシング世界王者のガッツ石松さん。

出典: 日本タレント名鑑

「石松」の由来は「死んでも直らないほどのおっちょこちょい」という性格が森の石松と同じだというところから。

遠州浜松餃子にも「石松」という人気店があります。
このお店を始めた名切さんという方が戦後屋台を始めたときに、森町生まれの誇りを「石松」という名前に託したそうです。奥様曰く、性格も石松のようだったとか!

大洞院へ行ってみた

今も森の中に佇んでいます

室町時代に4代将軍足利義持が寄進して建てられた曹洞宗のお寺。
末寺3,400余りの総本山になる屈指の名刹です。
遠州三十三観音霊場めぐりの2番札所としても有名です。

遠州三十三観音霊場めぐりとは
江戸時代に平和が続き庶民の生活も豊かになってくると、日常生活から一時的に離れてお寺や神社の聖地巡りをして参詣し、神仏に触れようという行動が盛んになりました。

森の石松の御墓は大洞院のふもとにあって、
1代目は参拝客に削られまくってなくなってしまい、、、

2代目の墓は持ってかれて天竜川で見つかったりしたとか!

お墓の2代目

天竜川で見つかったお墓、今は厳戒態勢…

今は3代目の御墓でアフリカ産の極めて硬い石材を使用。

3代目は削りようもありません!

結果がちゃんと出せたら御礼はしに来てくださいね。
そういう礼儀に厳しい石松さんですから!

そんな俗世間的な内容でもありますが、
自然豊かで良いところですよ。

『ただ「勝ちたい」ではなく、負ける覚悟ができて初めて本当の強さが出る』

元プロ野球選手・元読売巨人監督だった原辰徳氏の言葉。
勝負事は勝てば官軍負ければ賊軍というけれど、
自分の弱さを知り認めているからこそ強いんだ!
ってことだそうですよ。

勝ち負けは勝負の前に既に決まってしまっているなんて、
目先の勝ち負けよりも大事なことじゃないかなぁ。
そう思いませんか?

大洞院
住所 〒437-0227 静岡県周智郡森町橘249
電話 0538-85-2009
FAX 0538-85-6011
URL http://enshu33.com/all-guide/%E5%A4%A7%E6%B4%9E%E9%99%A2/
駐車場 あり(無料)
静岡県周智郡森町橘249

ABOUTこの記事をかいた人

藤村紀和

今日もバイクの街はーまつが生んだポンポン「スーパーカブ」で走る、遠州率は100%・歴史(徳川よりも今川派)とスイーツ(毎週ソフトクリーム食べてます)と都市伝説が好きな、セールス売上げ着火ライター